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支部の紹介


代表からのご挨拶

 家族の会の歩みを振り返ると、30年前の昭和56年2月、早川先生に出会い、「病気は治らないが、仲間がいるよ」の一言に、広島で在宅介護への一歩を踏み出しました。「住み慣れた家で、地域で肉親のお世話をしたい」と願う介護家族が、社会的理解を得るために家族の会を結成した当時のことが昨日のように思い起こされます。
 当時は、認知症の人の在宅介護者を支援する施設も無く、勿論認知症の人のケアをアドバイスなどできる専門職員も居らず、福祉サービスもなく、家族は孤立無縁に近い状態に置かれ、孤独な介護の日々でした。
 「介護者の身近な所に集いの場が欲しい」という思いで、市町村社会福祉協議会や当時の保健所の支援もあり、県内に地区家族の会が組織され、県家族の会と連携しながらひたすら「介護の社会化」を広めるために啓発活動に取り組んできました。
 平成12年に「介護の社会化」を目指し、介護保険制度が発足しました。介護サービスの制度化を求めてきた家族の会の活動は、サービスの評価、点検と政策提言に活動の軸足を移すことになりました。
平成15年から若年期認知症問題にいち早く取り組み、医師、看護職や福祉職の専門職と世話人などがサポーターとして若年期認知症本人と家族の仲間づくりの場「陽溜まりの会」を開催しています。
平成16年の国際アルツハイマー病協会第20回国際会議京都2004と地方会議として開催された広島国際会議を契機に認知症本人(若年)が思いを語りはじめ、「認知症新時代」と捉えて新たな活動を展開しております。
 本県の特徴として、広島県と広島市(政令市)が若年期認知症の問題を施策に位置づけ、家族の会と連携しながら調査や広報・啓発に積極的に取り組んでいることです。家族の会が30年を迎えることができましたのもこの間、多くの保健・医療・福祉の関係者や行政機関・関係団体のご理解とご支援をいただいたお蔭と深く感謝申し上げます。
 今後とも家族の会に変わらぬご支援ご協力を賜りますようお願い申し上げます。


 
 (公社)認知症の人と家族の会
 常任理事 広島県支部代表
  村上敬子
         



ご 挨 拶

  家族の会と私
 30年、一昔と申します。ほとんど認知されることのなかった認知症がやっと他の病気の仲間入りをしました。まがりなりにも、4種類の薬も世に出ようとしています。30年前は認知症の人に対する偏見が強いだけでなく、認知症の診療や研究もずいぶん見くだされておりました。「認知症は死を迎える恐怖を和らげるための宿命なのだ」という、一種のあきらめの気持ちが強いようでした。現場で悪戦苦闘している家族の気持ちなどは、ほとんど無視されていました。
 けれども、高齢者が増えて、自分の周りに認知症の人がどんどん増えてくるにつれて、認知症は他人事ではないと、多くの人に感じてもらえるようになりました。社会でも、認知症について、様々の議論がたたかわされるようになり、認知症の人自身も自分が認知症で困っている諸問題を訴えるようになりました。このような状況を招いた一因は「認知症の人と家族の会」の努力にあるといえましょう。

 私事になりますが、私の94歳になる母も認知症で、要介護2の介護を受けることができました。肉親をかかえる家族として、終末期医療の大切さを強く感じました。古い肺結核があり、それに非定型好酸菌性肺炎が重なり、認知機能の低下をひどくしたようです。その上、転倒による圧迫骨折による起立不能も加わり、昨年11月中旬に近くの病院に入院しました。
 母は他人と付き合うのが苦手であり、施設入所を嫌がっておりましたので、自宅で介護をしました。4年あまり、家内が毎日食事を用意し、一緒に談笑しておりました。いわゆる「家族」の体験を身をもって、実践したわけです。妙に充実感があり、昨年12月はじめに他界した時も、喪失感は強くはありませんでした。
 ただ一つ、貴重な体験をしましたので、ご参考までに紹介させて頂きます。平素より、母は死期が近いことを悟っておりました。本人は「できるだけ苦しまずに逝かせて欲しい」と常々申しておりました。そこで、気分の良い時をみはからって、いくつかの点を家族の中で確認しました。具体的には、「呼吸器の管理をするか」、「胃瘻を造って栄養の補給をするか」の問題でした。
 患者本人として94歳まで十分生きさせてもらえたこと、痛みや息苦しさを長引かせてほしくないこと、あまり家族に迷惑を掛けたくないことを理由として、呼吸管理や胃瘻を断りました。病院で主治医にその旨を伝えて、ご了承を得ましたので、自然経過で様子をみました。
 母が亡くなる前の日、病床で私に「随分お久しぶりです。一番、会いたかった方にお会いできて、本当にうれしいです。長い間お待たせしましたが、もうすぐそちらへ寄せて頂きます」と申しました。私は父とよく似ているので、亡父とまちがえて話しかけたようです。次の日、安らかに逝きました。終末期医療について前もって相談しておくことの重要さを自分自身、思い知らされました。
広島県支部 顧問
広島大学名誉教授
中村重信

     認知症の人と家族の会 広島県支部結成30周年を祝して
 「認知症の人と家族の会広島県支部」発足30周年、誠におめでとうございます。貴会は昭和56年5月、わずか介護家族5名で発足されたと伺っていますが、その後、会員も増え、同時に30年間に亘る積極的な活動によって見事な功績を残されました。
 今後の高齢社会は、従前の高齢化社会とはかなり様変わりするものと思われます。中でも特筆すべきなのは75歳以上の高齢者が増えること、更にアルツハイマー型が増えること、そして若年者の認知症が増えること等と思われます。私は10数年前の厚労省の審議会で、「今後の高齢者ケアには在宅の一環としての、ケア付き高齢者住宅を国の責任でもっと増やすこと、中でも痴呆性(認知症)老人のグループホームを増やすべきである」と発言しました。しかもその際には、これらの施設と在宅との連携が不可欠と思われます。しかしながら10数年経った現在でも未だ十分とはいえません。しかも今後は、都市部特に大都市部の高齢化が急激に上昇していくものと思われます。従来の中山間地域は,長年かかって現在のような高齢化の状態になりましたが、これに反して大都市は、今後団塊の世代が中心となって高齢化が急速に進んでいくからです。

 認知症の治療については、これを治癒にもっていける薬剤はまだ出ていません。現在数種類の薬剤が使われていますが、これらはいずれも進行を遅くするものです。認知症を有している高齢者の介護に当っておられる家族の方々の苦しみは、はかり知れないものがあろうかと思われます。いかに“その人らしさ”を維持しながら質の高いケアを提供していくか、大きな問題です。「認知症の人と家族の会」広島県支部が、全国に先駆けてはじめられた「陽溜まりの会」は、若年認知症の人と家族の方が集える場として、その後全国のあちこちに普及していったと聞いています。
 貴「家族の会は、こういう活動を積極的に行い、数年前には中央の独立行政法人福祉医療機構からその事業の内容を評価され、助成金を頂くまでになりました。ひとえにこれも村上代表のリーダーシップによるものと考えられます。
  「家族の会」も結成以来30年が経過し、現在もめざましい活動を継続しておられますが、今後も全国の認知症高齢者の介護に当っておられる家族の方々に力を与え、且つ各県支部の範となられることを期待しています。
 終わりに当って、「認知症の人と家族の会」広島県支部の今後の益々の発展をお祈りします。
広島県支部 顧問
尾道市公立みつぎ総合病院
病院事業管理者
                                         山口 昇